HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

日本のブルーグラス・ミュージック

高石ともや&ザ・ナターシャセブン

アメリカのブルーグラス(Bluegrass)音楽は、分類するとカントリー・ミュージックであり、フォーク・ミュージックでもある。一般的なカントリー音楽も元は同じ様なルーツであるがブルーグラスは、よりFolky(地付き・常民的)である。アイルランドスコットランド移民が農作業などで疲れた後の週末に、故郷から持って来たダンスや音楽に興じて息抜きをした。そのアメリカ・アパラチア山脈南西部(主に西ヴァージニア・ケンタッキー・テネシーの各州)に入植したスコッチ・アイリッシュの伝承音楽をベースにして、「ハイロンサム」と呼ばれる孤高のブルース感を表現する唱法なども取入れて1945年末、ビル・モンロウとブルーグラス・ボーイズが商業的な音楽にし、成功してPOP音楽として確立した。故にビル・モンロウはブルーグラス音楽の父と呼ばれている。POP音楽として確立してからは愛好者はスコッチ・アイリッシュに限らず全米に広がった。アコースティック楽器で演奏される。

高石ともや:1941年北海道空知管内雨竜町生まれ77歳。雨竜高校、立教大卒
1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、現代に至るまで歌い続けている。また、マラソンランナーとしても活躍。京都市在住。
全国各地でメッセージ・フォークを歌い、「受験生ブルース」などの話題作も発表。1970年代に入り、ブルーグラスやトラディショナル・フォーク、日本の民謡などを歌い始める。ザ・ナターシャセブンとして活動など、京都市永六輔などと「宵々山コンサート」も始める。ザ・ナターシャセブンの名前の由来は、高石が福井県名田庄村に一時期在住していたところから付いた。



日本でもカントリー・ミュジックは英語で唄う事が多い。高石ともやの「ブルーグラス」は、アメリカの原曲を使ってはいるが歌詞は日本語だ。「ふるさとの風」や「日高の山」など地方の田舎をテーマに、生まれ育った土地に対する望郷の想いなどを歌い、アメリカのブルーグラス音楽と同様な表現をしていて上出来である。日本では多少マニアックなブルーグラス音楽を日本語で唄う事で、一般の人々の間にも浸透させた功績は大きい。

さて日本におけるブルーグラス音楽は、主に大学の音楽サークルを中心に広がり、今も根強い愛好者がたくさんいる。やや下火では有るけれどカントリー音楽も同様である。私も若い頃ブルーグラス音楽に熱を入れていた時期があり、楽器はフラット・マンドリン(向かって左の坂庭省吾の楽器)だった。カントリー・ミュージック自体は今やアメリカではPOP音楽の一大セールス市場になっている。ブルーグラス音楽はそれ程ではないが、発祥の地はもちろんの事、あちらこちらでプロやアマチュア入り乱れての小コンサートなども頻繁にあり、人々に変わらずに愛され続けている。