HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

ボサ・ノヴァ音楽の立役者

ボサ・ノヴァ音楽の立役者だが、この人がいなければ恐らくこれ程には隆盛しなかったと思われるアントニオ・カルロス・ジョビン。20世紀のPOP音楽界では、最大の作曲家で編曲家でありミュージシャンだと、私は思っている。

リオデジャネイロのチジュッカ地区生まれ。14歳の頃からピアノを始め、また作曲を学びはじめる。音楽家として生きていきたいと願っていたが、家族を養うことを考えて建築学校に入学する。しかし、音楽への夢を捨てきれず、ラジオやナイトクラブでのピアノ奏者として働いていたが、コンチネンタル・レコードに入社し、曲の譜面起こしや編曲などの仕事をこなす。1953年にはブラジルのオデオン・レコード(EMI・ブラジル)のアーティスト兼レコーディング・ディレクターとして採用される。また、この頃は特に、幼なじみでもあったニュウトン・メンドサと共に作曲活動を行っていた。

ジョビンが脚光を浴びるようになったのは、作詞家で詩人で、外交官でもあり、ジャーナリストでもあるヴェニシウス・ヂ・モライスが制作した舞台「オルフェウ・ダ・コンセイサォン」のために制作した音楽によってであった。(後に、映画『黒いオルフェ』として世界的にヒットする)。この頃からヂ・モライスと共に曲作りを行うようになる。彼らの共作の中には、歌い継がれるボサ・ノヴァ・スタンダード曲が数多くある。

それではA・C・ジョビンとV・d・モライスの映像を見てみようか。
唄とギターがトッキーニョ、女性歌手はミウシャ(J・ジルベルトの前妻アストラッドの次の妻)で、1曲目Samba do Poeta(詩人のサンバ)。途中でV・d・モライスがグラスを持って踊りながらの登場(酒を呑みながら・・良いね~)。それからモライスが「なんで俺は英語で喋ってる」と言いながら2曲目Vai Levando (行く事につながる)を4人で唄い終わり、次にモライスがジョビンにイタリア語で話しかける。どうやらイタリアでのライヴ映像らしい。ジョビンは片言のイタリア語で答えてる。外交官モライスの「遊び心」だ(笑)。
続いて3曲目はV・d・モライスA・C・ジョビンのデュオで「フェリシダーヂ」


3曲ともにジョビンとモライスの作った曲。サンバやサンバ・カゥンソンがあってこそ延長上に生まれたボサ・ノヴァなのだ。

嗚呼、ブラジルの音楽だな~!特にリオ・デ・ジャネイロの。

A Felicidade(フェリシダーヂ:幸せ)
作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン 作詞:ヴェニシウス・ヂ・モライス
 
映画「黒いオルフェの挿入歌で、映画の始まりのシーンで主人公オルフェが歌っている。「悲しみには終わりがなく、幸せには終わりがある」と言う切ない歌詞は、リオのカーニバルに参加するというほんの数日の幸せの為に、毎日必死に働いてお金を貯める人々の気持ちを歌ったもの。

 訳詩:
幸せは羽のよう。  
風が空気にのせて運んでゆく。
あまりに軽く飛んでしまう。
でも人生は短い。    
やむことのない風がある必要がある
貧しいものにとっての幸せは、大きなカーニバルの幻影のようだ。
私たちは1年中働く。  
夢の瞬間のために、幻想に身をゆだねるために、王や、海賊やという幻想。
そしてすべては水曜日に終わる。    
悲しみには終わりがない、幸せには終わりがある。
幸せはしずくのよう、一片の花びらの中の露の、静かに輝き、かすかに揺れたあと、愛の涙のように落ちる。
私の幸せは夢見ている、愛する人の瞳の中で。    
それは過ぎ行く今宵のよう。
夜明けを求めて過ぎ行く。
どうぞ、静かに話して。
彼女が白昼に喜びで目覚めるように。
愛の口づけを求めて。
悲しみには終わりがない。