さて、ブラジル音楽にするか・・
BOSSA NOVA:ボサ・ノヴァ:その1
20世紀のポピュラー音楽界に大きな影響を与えたのはE・プレスリーに代表されるRock'nRoll、そのアメリカ音楽に影響されたビートルズ だ。それとは別に偉大な影響を与えた「BOSSA NOVA:ボサ・ノヴァ」について今日は書いて見よう。
詳しく書くと本当にキリがないので、ほんの上っ面だけです。
そもそもBOSSA NOVAの意味だが、ブラジル語(ポルトガル語)で「新しい傾向・感覚」と言った意味。サンバやショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン (Samba Canção) を基に、リオデジャネイロの白人中産階級の若者たちの求めていた心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。ボサ・ノヴァをジャズの一種と見るなどさまざまな見方もあるが、少なくとも本来のボサ・ノヴァはサンバの一種であると定義される。その出現はブラジルのポピュラー音楽を革新し、その後世界中の音楽シーンに広がっていった。
●1950年代中期のボサノヴァ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが挙げられる。
アメリカでの大ブーム:
●1963年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム「ゲッツ/ジルベルト」が制作され、アメリカで大ヒット。特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド(アストルード)・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた。モダーン・ジャズメンの演奏付きでこれ程大ヒットする曲は史上初めての事だった。しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノヴァはゲッツの創始になるもの」「ボサノヴァを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったともいう(大衆にありがちな事だ・・)。
●アストラッド・ジルベルトは、歌はそれほど上手ではなかったが、歌心があり聴衆にアピールする力があった。この時期には、キャノンボール・アダレイやポール・ウインター等のジャズ・ミュージシャンも、ボサノヴァに特化したアルバムを発表している。ブラジルのミュージシャンを加えての演奏はC・アダレイは「雲」、P・ウインターは「サウンド・オブ・リオ」で、私はどちらのLP・CDも持っている。ジャズ・ミュージシャンにとっては、このセンシティブな音楽は正に待ってましたと言うもので、次々とアルバムが出され、JazzSamba・JazzBossaとして受け入れられた。
以後の一時期、アメリカではボサノヴァ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノヴァからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においてもまったく同じである。Bluesでない「何とかブルース」と言う歌謡演歌や、サンバやボサノヴァでないのに「何とかサンバ」の類いである。