HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

さて、ブラジル音楽にするか・・

BOSSA NOVAボサ・ノヴァ:その1

20世紀のポピュラー音楽界に大きな影響を与えたのはE・プレスリーに代表されるRock'nRoll、そのアメリカ音楽に影響されたビートルズ だ。それとは別に偉大な影響を与えたBOSSA NOVAボサ・ノヴァについて今日は書いて見よう。
詳しく書くと本当にキリがないので、ほんの上っ面だけです。

そもそもBOSSA NOVAの意味だが、ブラジル語(ポルトガル語)で「新しい傾向・感覚」と言った意味。サンバショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン (Samba Canção) を基に、リオデジャネイロの白人中産階級の若者たちの求めていた心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。ボサ・ノヴァをジャズの一種と見るなどさまざまな見方もあるが、少なくとも本来のボサ・ノヴァはサンバの一種であると定義される。その出現はブラジルのポピュラー音楽を革新し、その後世界中の音楽シーンに広がっていった。

●1950年代中期のボサノヴァ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン、歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが挙げられる。
●1958年、ジョビン作曲、モライス作詞のChega de Saudade (想いあふれて) をジョアン・ジルベルトが歌い録音、発売され、ブラジルでのボサ・ノヴァ・ブームの幕開けとなる。
●1959年には、古代ギリシャの神話を題材にしたブラジル・フランス合作映画黒いオルフェの劇中曲としてジョビンとモライスそしてルイス・ボンファ「カーニバルの朝」、「オルフェのサンバ」など多くのボサノヴァが使われ、世界にその存在を知らしめた。私はこの映画を何回見ただろうか・・後に1999年に新たに作られた映画も観たが、最初の映画の様な感動は無かった。

アメリカでの大ブーム:
●1963年には、ジョアン・ジルベルトアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム「ゲッツ/ジルベルト」が制作され、アメリカで大ヒット。特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド(アストルード)・ジルベルトが英語詞で歌ったイパネマの娘は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた。モダーン・ジャズメンの演奏付きでこれ程大ヒットする曲は史上初めての事だった。しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノヴァはゲッツの創始になるもの」「ボサノヴァを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったともいう(大衆にありがちな事だ・・)。
アストラッド・ジルベルトは、歌はそれほど上手ではなかったが、歌心があり聴衆にアピールする力があった。この時期には、キャノンボール・アダレイやポール・ウインター等のジャズ・ミュージシャンも、ボサノヴァに特化したアルバムを発表している。ブラジルのミュージシャンを加えての演奏はC・アダレイは「雲」、P・ウインターは「サウンド・オブ・リオ」で、私はどちらのLP・CDも持っている。ジャズ・ミュージシャンにとっては、このセンシティブな音楽は正に待ってましたと言うもので、次々とアルバムが出され、JazzSamba・JazzBossaとして受け入れられた。

以後の一時期、アメリカではボサノヴァ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノヴァからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においてもまったく同じである。Bluesでない「何とかブルース」と言う歌謡演歌や、サンバやボサノヴァでないのに「何とかサンバ」の類いである。
この「本来のボサノヴァ」と「ボサノヴァ風の亜流音楽」の並立は、その後も長く続いた


●ラジオやTVで「カラスの鳴かぬ日はあっても「イパネマの娘」の流れない日は無い」と言われたその曲を・・(余談だがバーバラ・ストライザントの「ピープル」も同じ年に大ヒットして同じくそう言われた)

演奏はスタン・ゲッツ楽団だが、デビュー当時のゲイリー・バートン(Vb)が4本マレットで参加している。

イパネマの娘」の大成功により、彼女は一躍ジャズスターとなり、その後すぐにソロ・デビューする。彼女はブラジルのボサノヴァと、アメリカのジャズ・スタンダードの架け橋的な役割を果たす。1970年代には、彼女自身が作曲した曲もレコーディングするようになる。
彼女はアメリカを中心にボサノヴァの代表的な歌手という、海外における一定の評価もある一面、ブラジル国内ではほとんど実績を残していない。このことから同国内における評価はあまり高くない。

最初に「ほんの上っ面だけです」と言ったが、結局長めになってしまった。
省略の仕様がないのである。