HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

聴くのは洋楽ばかりじゃないんだよ!その2

その2は・・都はるみ石川さゆり

都はるみ本名李春美のち北村春美/1948年生まれ70歳・京都市出身。
出身高校の当時の学校長の話によればいきなり「歌手になります!」と言って中退したそうである。当時似たような若者は多く、そのうちの一人としか思っていなかったが大成功した。
1964年「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット。「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、名実ともに日本を代表する女性演歌歌手となった。

その後数々の音楽大賞を受賞する。1980年「大阪しぐれ」で日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。なお、当時の日本レコード大賞で大賞・新人賞(現・最優秀新人賞)・最優秀歌唱賞の三冠を達成したのは、都が初の快挙だった。

1984年3月、人気・実力ともに絶頂だった36歳において「普通のおばさんになりたい」と突然の歌手引退を宣言。この年の『NHK紅白歌合戦』出場を最後に一旦引退。一時引退までの20年間のレコード・テープの総売り上げは630億円に達した。

どの曲にしようか・・迷うが最初のヒット曲にしようか。まだ初々しい。

36歳の一時引退は、まさに絶頂期だった。作曲家市川昭介の曲が多いが、初期の「あら見てたのね~」などコミカルな調子の歌も良いし、中年を過ぎてからの円熟した歌はもっと良い。歌手としては正に天与の才を持った人、と私は思う。
1915年末で完全に引退した。

石川さゆり本名・石川 絹代1958年生まれ60歳(熊本県飽託郡(現・熊本市南区)出身。
1977年に発売された「津軽海峡冬景色」で、大ブレイクを成し遂げる。同年末の数々の音楽賞を受賞、さらに「NHK紅白歌合戦」へも念願の初出場となった。


●「SAYURI」名義でレコーディングしたご存知のこの歌。Jazzyな仕上がり。

TVでCMが流れた時に、聴いたような声だが誰が歌っているかさっぱり見当がつかなかったが、知ったのは、ずーっと後になっての事だった。
このサントリーCMは井川遥の色っぽさを含めて、おじさん達の心を潤した・・(笑)

もう一曲
●Jazzyな編曲で「さゆりの河内音頭
今は懐かしい故羽田健太郎がピアノを弾いている。後でチラッと宮川彬良が指揮しているのが見える。

この様な歌は彼女の得意中の得意だと思う。「石川さゆり、ここにあり!」かな。
津軽海峡~」や「天城越え」ばかりでは、きっとうんざりしているよ(笑)
「トンコ節」や「ヤットン節」なんかも明るく色っぽく、水を得たように唄っている映像がYoutubeにある。