HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

ロッカビリー:初期の白人歌手達

そろそろロッカビリーもお終いにしよう・・・

今日登場する白人の歌手達だが、最初の頃にアメリカ社会の一部の非難が殺到したのも肯けるよ。いま聴いてもビル・ヘイリーやファッツ・ドミノと違い、如何にも「あんちゃん音楽」だな~(笑)それでも1955年から1960年位までの間ブームは続いた。

まずはエディ・コクラン/Eddie Cochran (1938~1960年)
アメリカのロックンロール創成期(ロッカビリー)に活躍した大スターの一人。

1956年には、映画※「女はそれを我慢できない」に出演し、作中で「トゥエンティ・フライト・ロック」を演奏する。さらに1957年に発表した「バルコニーに座って (Sittin' in the Balcony)」が最初のヒットとなる。そして、彼の代表曲の「サマータイム・ブルース(Summertime Blues)」が1958年に発売される。その後も「カモン・エヴリバディ」「サムシン・エルス」「マイ・ウェイ」「スリー・ステップス・トゥ・ヘヴン」などのヒットを連発。

しかし英国ツアーの最中の1960年4月、婚約者でソングライターのシャロン・シーリー、歌手のジーン・ヴィンセント(次に出てくる)と同乗したタクシーが街灯に衝突して大破した。コクランらは病院に搬送され、同乗者2人は助かったものの、コクランは翌日死亡した。まだ21歳であった。

※「女はそれを我慢できない」の原題は[The Girl Can't help It]で、音痴のギャングの娘(ジェーン・マンスフィールド)を無理矢理に歌手に仕立てるコメディ映画。
決してそちらの意味・・(笑) では無いですよ、念のため。
女にとっては、やはり家事や洗濯をする事が本望で、それ以外は我慢が出来ないの意味で、歌手は諦めて結婚して子供を作って、めでたし、めでたしで終わる(笑)

●「トゥエンティ・フライト・ロック」 /1956年映画「女はそれを我慢できない」より

●「サマータイム・ブルース」1958年


続いてはジーン・ヴィンセント/Gene Vincent
上の記事にも出て来るが、英国ツアーにエディ・コクランと同乗した自動車事故で、片足を切断するかどうかだったが何とか中止して、その後不自由なままステージに立っていたが、胃潰瘍で36歳で逝去した。

●[Be Bop A Lula] /これも映画「女はそれを~」のシーンより



女はそれを我慢できない」は、この頃のロカビリー・ロックンロール好きには堪らない映画で、上記の2人のほか出演ミュージシャンは、当時「クライ・ミー・ア・リヴァー」大ヒットのジュリー・ロンドン(ロック歌手では無い)、ファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、プラッターズなど目白押しだった。もちろん私も観に行って、初めて映像で見る当時のロッカビリーやロックンロール歌手達に、確か中学生の私は酔い痴れた(笑)


最後はジェリー・リー・ルイス/Jerry Lee Lewis (1935年~)
ロックンロールおよびカントリー・ミュジックのシンガー・ソングライター、ピアニスト。

1950年代後半に活躍し、「キラー (The Killer ) 」の愛称で呼ばた。ロックのごく初期の先駆者として、1956年、初めてレコーディングを行なった、ピアノを叩きながらのロッカビリー曲「Crazy Arms/カントリー曲」は合衆国南部で30万枚を売り上げた。
1957年の「Whole Lotta Shakin' Goin' On」で世界的に有名になった。また「Ball of Fire/火の玉ロック」、「Breathless」などを発表した。しかし22歳の時に親戚の13歳の少女と結婚していたことが発覚してロックのキャリアから陥落した。その後カントリー・ミュージック界に復帰している。今までにロックとカントリー双方合わせて10枚以上のゴールド・ディスクを出している、現存する伝説の大物だ。

●大ヒット曲「Whole Lotta Shakin' Goin' On」1957年

これで白人ロッカビリアンはお終いで、この後ロックンロールは全盛時代を迎えて行き、またポール・アンカニール・セダカなど、ロッカビリーとは違ったタイプのロック(POPS)が台頭して来た。
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