HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

Who's Sorry Now/今は誰が後悔してるの?

前々回にスタンダード曲「On A Slow Boat To China」を記事にしたので、続いても・・

デキシーランド・ジャズ(DexieLand Jazz)などでも良く演奏される古くからの曲です。
この曲は20世紀の数々の名曲のひとつと評する人もいるほどで、現在に至るまで音楽ファンの心に訴えかけてくるものがある。良く聴いてみると、同じスタンダードの名曲の「All Of Me」は後発だが、この曲とコード進行が多分同じだ。
まずはデキシーで・・

●Who's Sorry Now/今は誰が後悔してるの?

レコード・プレイヤーがまだまだ一般家庭に十分普及していなかった1923年のこと、バート・カルマー、ハリー・ルビー、エディ・スナイダーの3人が共作し、この“Who's Sorry Now”という楽曲の楽譜が売れに売れた。この頃からラジオでの曲のヒット・ランクやデスクジョッキーが盛んになり、1940年代後半には若者向きのロックンロールの時代に入ると全盛期を迎える事となる。 

今までもっとも売れたのは コニー・フランシスの曲で、男女の恋の破局を唄ったものだが、歌の内容ほどマイナー調のイメージはなく、コニーの歌でも分かるように余韻を残す伸びのあるロッカ・バラード仕立てになっている。1958年に発売されビルボード誌チャート最高4位。自身初のミリオンセラーとなった。
このイタリア系でNジャージー州で1938年に生まれた歌手はNYの大学で心理学を専攻していた時に10枚程レコードを出したが、なかなかヒットに恵まれず、歌手を辞めようかと思っていた大好きな歌をどうしても捨てることができなかったので「とりあえずもう1枚レコードを出し、それがヒットしたら歌手を続け、ヒットしなかったら歌手を辞めよう」と考え、最後の1枚のつもりで出したのが、この昔の曲「フーズ・ソリー・ナウ」であった。この曲が無ければ、後年の大スター“コニー・フランシス”も無かった。まさに、彼女の人生を変えた曲である。

●1958年のその時の映像がYouTubeにあった。
(当時のTVでの放送は殆どレコード音源に合せた唇パクです)

彼女のミリオンセラーHitは1958年Who's Sorry Now/My Happiness/1959年Lipstik On your Collar他にもニーリ・セダカ作曲のWhere The Boys AreStupid Cupid/
Don't Break The HeartThat LovesYou などで当時のビルボード誌のヒット・ランクを賑わした。
「Where The Boys Are」は同名の映画が日本でも上映され、確か中3か高1の時に観に行った覚えがある。マイアミに4人組女子大生達がバカンスに行って彼氏探しに苦労する話で、のっぽのポーラ・プレンティス・おとなしくてか弱そうで可愛いイヴェット・ミミュー・もう一人は思い出せない(笑)。小さめなコニーはひょうきんな役柄だった。しかし「ボーイハント」とは日本ではむき出し無粋な題にしたもんだ。「彼氏は何処に?」だろうが・・。

でも当時日本のラジオに流れるのは「カラーに口紅」や「ボーイ・ハント」ばかりで、滅多に流れないが、たまに流れるWho's Sorry NowMy Happinessを喜んでいた若き自分がいた・・(笑)

しかし今Youtubeで当時の映像を見ると、その圧倒的な歌唱力にビックリ。なるべくしてなった大歌手、と言っても過言では無いでしょうか。やはりイタリア系の歌手は上手いな~