HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

またタンゴ

フリオ・イグレシアスとミルヴァの唄うタンゴ

前回に続きF・イグレシアスと、イタリアの名歌手ミルヴァのコラボレーションでアルゼンチン・タンゴのスタンダード・名曲「カミニート~小径」 

因みにアルゼンチンは自国語では「アルヘンティーナ」だ。
ブラジルは「ブラジゥ」、メキシコは「メヒコ」と、それぞれの自国語では発音する。

この映像はどちらかと言うとコンチネンタル・タンゴ風だ。仕方がない、2人共タンゴ歌手では無く全くのPOPS歌手だから(笑)。本場アルゼンチンの伴奏ではバンドネオン(またはコンサティーナ・小型のアコーディオンの様な楽器)が何台も並び、チヤッ、チヤッ、チヤッ、チヤッとリズムを刻んだものも多いが、踊りとしてのタンゴは次回に・・・これぞタンゴの神髄のリズム。

この曲は1920年に作られた。カミニート(Caminito)とは、小道・小径のスペイン語で、ブエノスアイレスのボカ地区の通りとするのが一般的だが、作詞家の故郷の小
径だとする説もある。ボカ地区の細い通りは「Caminito」と表記され、御多分にもれず観光客相手の小さなお土産屋が軒を連ねている。(←Youtubeで見た)

略歴:Milva ミルヴァ (1939年~)
1960年「Flamenco Rock」でデビュー。1961年から9年連続でサンレモ音楽祭に出場。その後も4回出場。1971年「ミルヴァ・カンタ・ブレート」発売以降、ヒットメーカーとしてより、芸術性重視に変わる。コンサティーナアストラ・ピアソラとの共演などの活動を行う。イタリアより、ドイツや日本で人気が高い。日本では毎回異なったテーマでコンサートを行っている他、日本の楽曲も歌うこともある。また、イタリアではミーナ、オルネラ・ヴァノーニと共に3大プリマドンナと称される。代表作に「タンゴ・イタリアーノ」や「リリー・マルレーン」「ウナ・セーラ・デ・トウキョウ」がある。
またアストル・ピアソラとのタンゴCDを出している。

「カミニート~小径」イタリアでのTV 映像/15年以上前の映像でおそらくミルヴァは60歳前後、フリオは50歳中位か。スペイン語もイタリア語もラテン語系なので歌うのにはそれ程不便ではなさそうだ。フランス語、ポルトガル語も同じだ。 


カミニート:Caminito日本語訳 (一番とサビの部分の歌詞のみ)

小径よ 今は時に消されてしまったけれど
おまえは二人が一緒に通るのを見ていた
わたしがここへ来るのも これが最後
わたしの不幸の物語を聞いておくれ
小径よ、あの頃のお前は
クローバーに縁どられ 灯心草の花盛り
でも、もうすぐお前は影になってしまう
わたしと同じように ひとつの影に

あの人が行ってしまって 悲しいわたしの人生
小径よ  わが友 
わたしも去っていこう
あの人は行ってしまって もう帰ってはこない
わたしもその後を追お

小径よ さようなら


略歴:フリオ・イグレシアスJulio Igulesias 1943年~
スペイン出身弁護士の資格を持つ。父親は高名な医師、母親は上流階級出身。弟のカルロスも医師である。レアルマドリードのユースチームでゴールキーパーをし、一軍に登録した矢先、交通事故で全治約5年の瀕死の重傷を負う。療養中に父のアシスタントからプレゼントされたギターで作詞作曲した曲がベニドルム歌謡祭で優勝。マドリードの大学で法律の学位を取得。

その後1982年頃よりミリオンセラーを連発するトップスターとなる。3億枚を超えるレコード・セールスを記録し、ギネスブックに載り「史上最も多くのレコードを売ったアーティスト」の称号を持つ。私見だが、中南米諸国のスペイン語圏の人々が購入したのがセールス記録を更に上げたのだと思う。代表曲に「黒い瞳のナタリー」、「ビギン・ビギン」、ウイリー・ネルソンとのデュエット曲「かつて愛した女性へ」などがある。全世界のレコード・CD等の売り上げが3億枚を超え、世界のトップセラーのベスト10に入っており、最も成功したラテンシンガーである。