HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

メアリー・ブラックとエミルー・ハリス

しばらく何だかんだで忙しくてブログも更新できなかったが、ようやく一息ついたので
またお付き合いを・・・

前々回に引き続きアイルランドのメアリー・ブラックとアメリカのエミルー・ハリスの音楽の紹介です。
E・ハリスの苗字から彼女の先祖はスコットランドアイルランドからアメリカへ移住して来たと思われる。このカントリー音楽の女王も今年69歳。よく何十年に渡り第一線で活躍して来たものだ!

●The Green Rolling Hills (W・ヴァージニアのなだらかに続く丘

この曲はアイルランドの歌では無いが、苦しくて故郷を出た者が生まれた地のウエスト・バージニアへの望郷を歌っている。アイルランド系の楽器でのバック演奏。
このライヴはスコットランドの古い屋敷でのアメリカ・アイルランドの音楽家を集めてのアコースティック・セッションである。[The Trans Atrantic Session 1] より

同じ時のセッシヨンからもう1曲
●Hard Times (辛い時よ、もう2度と来ないで・・)

の曲は皆さんご存知のスティーヴン・フォスターの作曲だが、1930年代のアメリ大不況で農民など極貧に陥った人々を歌った曲で、今も人々に歌われていてボブ・ディランブルース・スプリングスティーンも唄っている。


1936年3月にカルフォルニアにおいて撮影した『移民の母』の一枚 。7人の子供を抱えて極貧生活を送っていたこの32歳の母親は、後年にフローレンス・オーウエンズ・トンプソンと判明した。Wikipediaより

やはりスコットランドアイルランド系の移民か・・

●スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster)1826-1864年。19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家。20年間に約200曲を作曲し、その内訳は135曲のパーラーソングと28曲のミンストレル・ソングである。多くはメロディの親しみやすい黒人歌・農園歌・ラブソング・や郷愁歌である。「アメリカ音楽の父」とも称される。

このアイルランドからの移民の子は19世紀半ばに活躍した。
「オールド・ブラック・ジョー」「故郷の人々」「草競馬」や「おおスザンナ」などを作ったが、まだマスメディアの発達する前の時代で、結局は貧困で死した。

音楽関係の人は別として、彼の事をアメリカ人に聞いても、日本人が思っている程一般的にはあまり知っている人は少ないかも?私は小学生の時に習ったので、お爺さん(笑)おじさん世代は知っているとしても、今の子供達はどうなのかな?遠く離れている孫に聞かねばならない。

時代が変わっても、ミュージシャン達にはアメリカの伝承歌としてちゃんと引き継がれている