HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

クリスティーナ・ブランコ(ポルトガルのFADO歌手)

前に同じくファド歌手の「カティア・ゲレイロ」を紹介したのだが、
2人目も新世代ファドの代表的な歌手の一人「CRISTINA BRANCO」です。
ポルトガルの嘆き唄(ばかりでは実は無いが)は、脈々と受け継がれていて現在も
数多の歌手によって唄われており、Liveなどでは新曲の中に必ず伝統的な
旧曲が何曲も唄われる。切々と唄うクリスティーナへの評価は高い。
 
略歴:クリスティーナ・ブランコ(1972~)は、ポルトガルリスボンの北のリヴァテージョ地区で生まれた。リスボンの下町からは少し離れた場所で、ファドとは関わりの無い幼少期を過ごした。大学ではジャーナリストを目指し心理学を専攻。 
 
18才の時、クリスティーナは祖父から一枚のレコードを渡されて、それが彼女の人生を変える事になった。そのレコードは アマリア・ロドリゲスのレコードで、一時期ファドは 過ぎ去った音楽としてポルトガル本国でも人気の無い ジャンルだった。
(現在は新しい世代歌手によって隆盛している)
このアマリア・ロドリゲスの歌う ファドを聴いて目の覚める思いのクリスティーナは ファディスタの道に向かってひた走る事になった。
 
ポルトガルからオランダに移り本格的な音楽活動を開始した。 クラブでライブを重ね 1998年にファーストアルバム「Murmurios」でデビューすると、 「Murmurios」の評価はオランダに留まらず、 フランス音楽界に最も衝撃を与えたアーティストとして表彰されたのだ。 現在ヨーロッパでは確固たる評価を得たクリスティーナは アメリカ大陸や日本も含めた活動を続け、カティア・ゲレイロ、マリーザやドゥルス・ポンテス等と 新世代のファドの魅力を我々にもたらしてくれている。
 
●クリスティーナ・ブランコ 「わが哀しみの人生」