HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

城南海と田中一村の事


城南海(きずき・みなみ)の奄美民謡

少し長いが祝い事の時などに謳われる「よいすら節」を。
なんだ民謡か?とは言わずにぜひ奄美の唄を聴いてみてください。
(昨年の正月28歳の映像だと思うが、大人の女性に成長したね・・)
歌詞は最初の一部分の紹介です。


   ●奄美方言                   ●標準語訳
船ぬ高艫に                   船の高い舳先に
居ちゅる 白鳥(しるどぅり)ぐゎ        白い鳥が居る
白鳥やあらぬ                  白い鳥ではない
姉妹神(うなりがみ) 加那志(がなし)    姉妹神様だ

 よいすら節奄美群島島唄の一つ。奄美のほか沖縄にも伝わる、兄弟または海に出た男性を守護する、姉妹に宿る霊をなり神(姉妹神)信仰に基づく唄である。艫に止まった白い鳥を「をなり神」の象徴として捉え、吉兆とする。曲名は「スラヨイスラ」という囃子言葉から付いた(Wikipediaより

何と美しく、清らかで穏やかな世界が広がっているのだろうか・・

香気の漂う大島紬姿・・



後ろで控えている指宿桃子さんの呼応するお囃子も、とても良いものだ。

私はこの着物姿を見ているとどうしてか、50歳で奄美に移住し69歳で亡くなった孤高の日本画田中一村の事を想い、不覚にも涙が出そうになった。奄美大島の自然を愛し、大島紬の染色工として溜めた少ない資金をすべてつぎ込み、植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。1984年NHKの「日曜美術館」で取り上げられ、それから世に広く知られるようになった。私も番組を見ていたが驚きと言おうか、この様な画家がいた事に強いショックを受けたのを今でも覚えている。
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    ●一村 終焉の家
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   ●奄美に渡った頃の写真
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