HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

今度はニール・セダカ


ポール・アンカを記事にしたら、この歌手も登場しなくちゃ・・

ニール・セダカ/Neil Sedaka :1939年ニューヨーク州ブルックリン生まれ
父はトルコから移民したユダヤ系のタクシー運転手、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民。アメリカの若者ポップス草分け期のシンガーソング・ライターで歌手。ポール・アンカやデル・シャノンと並ぶ人気歌手だった。

セダカは幼少期からピアノを習い、同じアパートに住んでいた作詞家H・グリーンフィールドと共同で曲を作り始めた。高校時代には友人たちとポップ・グループ、トーケンズを結成(ニール脱退後アフリカを主題にした歌「ライオンは寝ている」がヒットチャート1位の大ヒットした)、その後は名門ジュリアード音楽院で学ぶ。

やがてセダカは、ハワード・グルーンフィールドとに商業ポップスの作曲を始めた。1958年コニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」が成功を収め注目される。同年にRCAビクターとソロ歌手として契約を結び、数々の曲をヒット・チャート・インさせ、ポール・アンカらと並ぶ全米規模の人気歌手となった。
主なヒット曲:
恋の日/The Diary/1959年 
●おお!キャロル/Oh,Carol/1959年
カレンダー・ガール/Calender Girl /1960年 
●素敵な16歳/Happy Birthday Sweet Sixteen/1961年

他に「間抜けなキューピッド/Stupid Cupid、「ボーイ・ハント/Where The Boys Are」をコニー・フランシスのために作った
しかしボーイ・ハント」という和製曲名は何と言う無粋なものだ。まるで商売女のその日の男捜しだ(笑)。女子大生達のヴァカンス地での男の子探しの映画の主題歌だから、原題とおりに「彼氏は何処に・・」で良いではないか?

ちなみに「おお!キャロル」は当時同じブルックリンのアパートに住んでいたガールフレンドのシンガー・ソングライター/キャロル・キングを念頭に作った曲。彼女もお返しの曲「おお、ニール!」を作った。また彼女は自作の曲「つづれ織り」が後世にまで歌い継がれる大ヒットした。当時の夫ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで、「ロコモーション」「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」など、数々の作品を生み出した。1960年から1963年にかけての3年間で、2人は延べ20曲あまりの全米トップ40ヒットを世に送り出している。

●おお!キャロル/Oh,Carol/1959年 
ポール・アンカの「ダイアナ」と同じくロック・ルンバ調の曲だ。(くちパクだけど)
おや?客席では皆チューインガムを噛んでいるぞ。番組スポンサーはチューインガムのメーカーかも知れないな(笑)・・いや本当に。

恋の日/The Diary
私の中学2年の時に初めて映像で聴いたセダカの曲で、白黒テレビの「ロッテ歌のなんとか」音楽番組の中でマロノ・バルデスと言う在日外人(当時よく出ていたフィリピンかスペイン系の歌手)がこの歌を唄ったのを今でもありありと覚えている。

Youtubeに当時のセダカのライヴ映像がないので、その代り7弦ギターの名手でジャズギタリストのジョン・ピザレリの映像で・・ピアノは国府弘子
まるでジャズ・スタンダード曲みたいに変身。い~い感じだな~ 


なお、アメリカでは全然ヒットしなかったが、日本では「恋の片道切符/One Way Ticket To The Bluesが日本人好みの曲なのか、何故かしら最大のヒットとなった。この曲はもともと「おお!キャロル」のB面に用意されたもので、作曲もセダカではない。私にとっては好きな歌ではなく、もっと良い曲が有るのに・・・と評価しなかった(笑)。