今度はニール・セダカ
ポール・アンカを記事にしたら、この歌手も登場しなくちゃ・・
父はトルコから移民したユダヤ系のタクシー運転手、母はポーランド・ロシア系ユダヤ移民。アメリカの若者ポップス草分け期のシンガーソング・ライターで歌手。ポール・アンカやデル・シャノンと並ぶ人気歌手だった。
セダカは幼少期からピアノを習い、同じアパートに住んでいた作詞家H・グリーンフィールドと共同で曲を作り始めた。高校時代には友人たちとポップ・グループ、トーケンズを結成(ニール脱退後アフリカを主題にした歌「ライオンは寝ている」がヒットチャート1位の大ヒットした)、その後は名門ジュリアード音楽院で学ぶ。
やがてセダカは、ハワード・グルーンフィールドと共に商業ポップスの作曲を始めた。1958年にコニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」が成功を収め注目される。同年にRCAビクターとソロ歌手として契約を結び、数々の曲をヒット・チャート・インさせ、ポール・アンカらと並ぶ全米規模の人気歌手となった。
主なヒット曲:
●恋の日記/The Diary/1959年
●おお!キャロル/Oh,Carol/1959年
●カレンダー・ガール/Calender Girl /1960年
●素敵な16歳/Happy Birthday Sweet Sixteen/1961年
しかし「ボーイ・ハント」という和製曲名は何と言う無粋なものだ。まるで商売女のその日の男捜しだ(笑)。女子大生達のヴァカンス地での男の子探しの映画の主題歌だから、原題とおりに「彼氏は何処に・・」で良いではないか?
ちなみに「おお!キャロル」は当時同じブルックリンのアパートに住んでいたガールフレンドのシンガー・ソングライター/キャロル・キングを念頭に作った曲。彼女もお返しの曲「おお、ニール!」を作った。また彼女は自作の曲「つづれ織り」が後世にまで歌い継がれる大ヒットした。当時の夫ジェリー・ゴフィンとのソングライター・コンビで、「ロコモーション」「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」など、数々の作品を生み出した。1960年から1963年にかけての3年間で、2人は延べ20曲あまりの全米トップ40ヒットを世に送り出している。
●おお!キャロル/Oh,Carol/1959年
ポール・アンカの「ダイアナ」と同じくロック・ルンバ調の曲だ。(くちパクだけど)
おや?客席では皆チューインガムを噛んでいるぞ。番組スポンサーはチューインガムのメーカーかも知れないな(笑)・・いや本当に。
●恋の日記/The Diary
私の中学2年の時に初めて映像で聴いたセダカの曲で、白黒テレビの「ロッテ歌のなんとか」音楽番組の中でマロノ・バルデスと言う在日外人(当時よく出ていたフィリピンかスペイン系の歌手)がこの歌を唄ったのを今でもありありと覚えている。
まるでジャズ・スタンダード曲みたいに変身。い~い感じだな~