HARRY-San’s 晴釣雨聴

徒然に4月~9月は自然繁殖した野のへら鮒釣り、10月~3月は音楽の事など書き留めています。過去の音楽の記事は検索に「音楽」と入れて一覧を表示してご覧下ださい

ブラジル音楽:パウリーニョ・ダ・ヴィオラ

パウリーニョ・ダ・ヴィオラ(1942~)はブラジルのリオ・デ・ジャネイロ 生まれ。
本名はパウロ・セザル・バチスタ・ヂ・ファリア。
パウリーニョ・ダ・ヴィオラとは愛称で、「ギター弾きのパウロ」の意味。
 
● 伝説的ショーログループ「エポカ・ジ・オウロ」のオリジナルメンバー であるギタリストのセザル・ファリア(1919~)を父に持ち、幼少時から ピシンギーニャやジャコー・ド・バンドリンといったショーロ界の重鎮 と身近に接することが出来る音楽的に恵まれた環境で育った。
 15才時 にエスコーラ・ヂ・サンバに参加。 22才の時にサンバ界の重鎮カルトゥーラの面識を得、カルトゥーラ の経営していた店ジカルトゥーラに出入りするようになる。ジカルト ゥーラはサンビスタ達の溜まり場で、度々パウリーニョ・ダ・ヴィオラ も出演する機会に恵まれるようになった。やがて1964年になると パウリーニョ・ダ・ヴィオラは働いていた銀行を辞め、音楽の道一本で 食べていくことを決意する。
 
● 銀行を辞めて1968年からはソロ活動 も始め、多くの作品を残していく。
 リオの有名なエスコーラ・ヂ・サンバのグループ「エスコーラ」や「ポルテーラ」に加わり才能を発揮し始めて、音楽監督として多くのカーニバル用の曲を作った。
現在では、正統派サンバを軸にしながらもショーロやボサノヴァを歌い演奏するパウリーニョサンバの貴公子と敬い崇められる事になった。
 
●ブラジルの音楽はポルトガル音楽を基として、アフリカやインディオ音楽 などのミックスで形成されて来た。それでもやはりヨーロッパ音楽のエレガンスさが底流に色濃く残っていると思う。[SAUDADE/サウダージ] 郷愁とか憧憬、思慕、やるせない想いとかで表されるが事が多いが、実際に言葉では表すことは出来ないかな。
 
例えば黒人のBluesやポルトガルのFad、フランスのシャンソンそしてアルゼンチンのタンゴ等、その他世界中の地着きの音楽に共通するもの、人生の喜怒哀楽を表している音楽と言って良いのでないでしょうか。
 
それでは2012年のMTVのライヴ演奏をお聴き下さい。
 
リオは私の人生そのもの
(サンバの曲で、エスコーラ・ヂ・サンバのグループ「ポルテーラ」の為に
作られた曲と思われる)
 
パウリーニョが演奏している楽器はカヴァキーニョ(Cavaquinho)と言ってサンバやショーロなどに使われるブラジルの弦楽器。
ポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャいう民族楽器を起源とする。
同様にポルトガルからハワイに渡ったものはウクレレになった。本来の呼び名は
カヴァコ(Cavaco)であるが、この楽器が小さいことから、「nho(ンニョ)」を愛称としてつけて、カヴァキーニョと呼ばれるようになったといわれる。
鉄弦・4弦で、ナイロン製の薄いピック(爪)で演奏される。